どうしてうちの子は足を切断して、みかちゃんは足を残せるんだ?!


自分のために綴っています。




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入院してからわかったこと。


それは、

修学旅行が終わって、膝が何となく痛くて、アチコチ病院にかかっていた時のレントゲンに、既にがん細胞らしき影が写っていたこと。



けれども、がんを見つけてもらうことができなかった。




逆に、


内視鏡検査したり、

膝に痛み止め注射したり、

膝を丈夫にするためにとリハビリしたりで、


がん細胞をどんど活発させてしまうことを、知らぬ間にやっていたのね。




がんの発見は遅かった。



ただ、

抗がん剤がものすごく効いた。



アレルギー反応が出たりで、結構大変な思いをしながらの治療だったけれど、

薬との相性は悪くなかったんだと思う。


人工関節を入れて足を温存できることになった。





しかし、


内視鏡検査で筋肉に穴をあけたことで、

そこにがん細胞が入り込んでいる可能性もあるからと、、筋肉を残すことができない。

もちろん、おさらも。




だもんで、

人工関節の上に、すぐ、皮膚。



だからね、

術後、膝を少しずつ曲げる練習をするんだけれど、

皮膚が突っ張るから、ものすごく痛いのよ。苦笑





で、もう曲げる練習やめた。

歩ければいいから。



主治医は「膝曲げる訓練しろー」ってちょっと怒っていたけど。



曲げなかったおかげで、

約7年毎に交換する予定だった人工関節は、倍の14年も頑張ってくれたんだよ!
だからね、曲げなくて正解だったの。









ただね・・・


足を残せたことを、よく思わない人もいたのね。





Aちゃん(仮名)のパパ。

(Aちゃんがどう思っていたのかは知らないよ)





パパがね、わたしを無視し始めたんだ。







理由は、


自分の娘(Aちゃん)は、足を切断した。


なんでみかちゃんは、足を残すことができたんだ?!







・・・・・・・・




詳細は書かないけれど、当時は理由がわからなくて。






だってさ、


15歳の子供が、

まさか大人に無視されるなんて思ってもいなかったしね。




日に日に憂鬱で。







どのくらい続いたかなぁ、その生活が。





わたしの様子に気付いてくれたのは、

たまたまだけれど、同じ沼津から来て治療していた子のパパさんだったの。

(その子は、沼津市内の別の病院で骨肉腫が見つかり。今は、空の星になりました。)




ひょいっと病室に顔出してくれてね、

「みかちゃん、どうした?最近元気ないね?」

って。




だからね、

この気になっていることを話したの。

どうして無視されているのかわからないけれど、部屋替えられるなら替えたい。

とか、そういう話をした。



で、本当に数十分もしない間に、看護師長がすっ飛んできた。





「みかちゃん、気付いてあげられなくてごめん。すぐ部屋移ろう。」

って。





看護師長はじめ、何人かの看護師さんで、あっと言う間に別の部屋への引っ越し完了。



もう、Aちゃんのパパを気にしなくてよくなったんだ。






大人って、いい顔しながら心では何を思っているのかわかんない。



・・・と、大人を疑うことを覚えた15歳。苦笑






このあたりから、心のことを勉強したいなぁって思い始めたんだ。


心理学って、どうやったら勉強できるんだろうって思い始めた頃。








ちなみに、

この頃よく病院の売店で買っていたのが、鉄骨飲料。



で、流行っていたCMは、リゲイン。





時任三郎 を、

ときとう と読めず、

とき にんざぶろう だと思っていた。笑