今でも涙が出るくらい、何もできなかったあの時。



離婚した翌月に、足の調子がおかしくなり。


単純に、「今までの疲れが出たんだ」と笑っていたんだけれど、笑っている場合じゃないくらい、足の一部が赤く腫れあがってきた。




で、切断することになるわけだけど。







当時、息子はまだ3歳前。


わたしの母が育ててくれたけれど、

大事な時期に一緒にいてあげられなかったことが、仕方がないけれど、今でも悔しくてね。



千葉の病院は退院し、

義足を作ってもらい、歩行練習をするため、次は新宿の施設(現在は南千住にあります)でリハビリ。


沼津から毎日通うのは、当時のわたしには体力的に無理だったので、施設に宿泊しながら歩行訓練。



けれどね、痛くて痛くて痛くて痛くて。



歩く以前の話。

義足の重さに、右足が耐えられない。



たった2キロ。

されど2キロ。



装着方法を教わり、まずは靴の脱ぎ履きの練習。


これだけでも、痛くて痛くて痛くて痛くて、吐きたくなるくらい、痛い。




午前中は、靴の脱ぎ履き練習。

午後は、立ったり座ったりしてみようなんてスケジュール決めるけれど、全くできず。



朝9時から夕方4時までの訓練時間。

たっぷりあるから、たっぷり練習して、早く沼津に帰る。

そう決めていたけれど、

実際は、朝9時から始まった訓練だけれど、10時まで持たない。



痛い。

痛い。

痛い。




明日も頑張りたいから、まだ沼津には帰らない。

そう意地張っていたから、

夕方まで、みんなの練習を眺めているだけ。




それが、何日続いたかな。




先生に、言われたの。

「一旦、沼津に帰ろう」って。




歩きたいだけなのに、自分の力で立つこともできず。


義足履いて、靴履いて、右足一歩前に出すだけなのに。


頭ではわかっているのに、身体が動かない。


動く動かない以前の問題、痛くて痛くてたまらない。





悔しかった。






早く子供と一緒にいたい

早く職場復帰したい


この焦りが、全ての流れを止める「心の血栓」になっていたことに、当時は気付かなかった。




リハビリ再開の目安は、「一日義足を付けていて、痛みを感じないようになったら」。


それまでは、とにかくゆっくり休みなさい。



これが宿題だった。







ゆっくり休む。



頭ではわかっている言葉。


けれども、心では認めることができなかった言葉。






ゆっくり



休む




今思うと、どちらも自分辞書にはなかった言葉だったかもしれない。


ゆっくりなんて、休むなんて、

怠けているみたいでイヤだって、思っていたのかもしれない。



すごくすごく大事なことなのにね。








この時期は、

切断の入院の時に仲良くなった戦友3人とのメールのやりとりが、すごく嬉しい時間だった。


今は、3人とも、空の星になって輝いてる☆





何度も入院するとさ、

その時期の、いわゆる同期メンバーがいるわけで。笑


星になった戦友がほとんどだけれど、元気に生きている戦友もいる。




病気にならなかったら、入院していなかったら、絶対に会うことはなかったみんな。




治療もリハビリも苦しかったけれど、この出会いがあったから、意地でも生きてやる!って、わたしの力になっている☆






この足のおかげで歩くことができます。


右足も左足も、いつもありがとう。