病院名を見て自分の病気を知った。けれど、絶対に死んでなんていられないって思った理由。



平成元年の発病から、26年。


段々と忘れていくこともある。

だって、自分が病気だったことも、今義足の生活していることも忘れているくらい(笑)、日頃気にしていないからこそ、備忘録として、綴っていきます。




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何となく、右膝が痛くて。

修学旅行が終わったあと、6月はじめ。


部活は吹奏楽部だったので、激しい運動しているわけでもなく。

ただ、なんか膝が痛い。


で、近所の整形外科をいくつか受診したけれど、関節炎とか、なんかよくわからない病名を言われ。


痛みどめの注射を膝にしたり、内視鏡検査で膝を調べたり。


痛みはどんどんひどくなって、膝はどんどん腫れて、普通に歩けなくなって。



吹奏楽の夏のコンクールに向けて、夏休みは朝から夕方まで一日中練習。

もちろん、休みなんてない。

部活に行くのも、足を引きずってやっとの思いで学校に行って。

ブレスすると、膝に響くの。

ズキンってして、思いっきりブレスできない。


そんなでも、何とか練習は続け。


夏休みが終わる頃は、もう歩くのも辛くて、何していても痛くて、

2学期は学校に行けなかった。




見兼ねた父が、

「頼むから、大きい病院に行って検査してくれ」と。



6月はじめからアチコチ病院に行って、

血液検査、尿検査、レントゲンと、どこに行っても同じ検査で、もう嫌だったのね。



けれども、父がそんなふうに言うなんてなかったから、しょうがない、いやいや市立病院に行った。




診察の番が来て、先生の前に座って、先生がわたしの膝を触った瞬間、先生の表情が一瞬にして変わった。



怒鳴るくらいの大きな声で、看護師さんにアレコレ指示を出していた。

たぶん、検査に必要がある項目をだーーーーーーっと言ったんだと思う。

専門用語だから、わたしにはさっぱりわからず。



ただ、

先生の顔と声で、ただことではないということだけは、わかった。



一通り指示したあと、

わたしの顔を見た先生が、優しい顔で、でも、しっかりとした声で、こう言った。


「絶対に治すからね。」


って。




それから3日間くらいかな、アレコレ続けて検査検査検査・・・・・




検査終わって翌日だったかな、病院から連絡を受けた母が話を聞きに行って。


帰ってきた母の目は、泣き腫らして真っ赤だった。





「明日、大学病院に入院することになったから、支度して」 と。



そして母は、学校に連絡をして、夜、担任はじめ、わたしが大好きな先生たちがいっぱい家に来てくれた。

(1位から5位まで好きな先生がいたの。笑)




で、翌日。


当時、静岡では病院がないということで、千葉の病院を紹介され、朝10時までに病院に着くように言われ。



大学病院だと聞いていたわたしは、病院の看板みて驚いた。

「がんセンター」って書いてあった。




あ・・・

わたし、がんなんだ・・・



ってわかったと同時に、思ったこと。それは、




絶対に死なない。

死んでなんていられない。



だったの。





理由は3つ。



①中学の大好きな先生に会えなくなるから、早く元気になって学校に行きたい。


②高校入試を控えていたので、高校受験して、憧れの高校生活を送りたい。


③生の光GENJIにまだ会っていないので、自分の目で光GENJIを見るまでは、絶対に死ねない。





特に③は切実な願いで。

コンサートにまだ行ったことがなかったから、絶対に行きたかったのね。





病棟に案内され、看護師さんに聞いたの。

「何か月くらい入院するんですか?」って。


そしたら、「1年くらいかな」って言われてね。


「1年も?!」





・・・・・




いろんなことが一日で起こりすぎて、膝は痛いし、心も凹んで、

千葉に知り合いなんていないから一人ぼっちな気がして、


けれど、わたしには果たさなければいけない①②③があって。



だから、絶対に死なないって決めた、15歳の秋の話。





続きは、また。




ちなみに、

当時流行っていた歌は、プリプリのダイヤモンドね。

光GENJIは、太陽がいっぱいね。